U50 第7回 皆川 智之さん
アンダー50として、2018年から2024年3月まで、
50才未満の若手市民活動家へインタビューを重ねてきました。
「活動を始めたきっかけや思い」など、
62名それぞれの軌跡が
多くの方々へのエールになるよう願っています。
皆川 智之 さんプロフィール
第7回 皆川 智之(みながわ ともゆき)さん
NPO法人 ふれんでぃ 理事 川崎市川崎区在住
どんな子ども時代を
沖縄生まれの大阪育ちです。父が福岡出身で、母が沖縄出身です。通天閣そばのウナギ屋で働いていた父が、その店の前の喫茶店で働いていた母を見初めて結婚、沖縄へ帰り、私が誕生したというわけです(笑)。大阪育ちですが沖縄では、初孫が特に大事にされ、中学校までは夏休みのたびに一人で里帰りをしていました。
大阪で住んでいた場所は浪速区で、新世界界隈の通天閣を見ながら、毎日登校していました。隣が西成区で、あいりん地区などには当時、日雇い労働者を含め2万人が暮らしていました。路上生活のオジサンたちが、リヤカーに積んだ段ボールを売ったり廃品を回収する姿は暮らしの中では日常のことでした。酔っ払って路上に寝ているオジサンたちは同じ街に溶け込んでいましたね。
高校時代は野球部に入部し、けっこう強かったので廃品回収業のオジサンたちのソフトボール大会に借り出されていました。今でも野球好きの私ですから、毎年夏の甲子園開催時は、もう仕事が手につかなくて大変ですよ。特に今年の大阪は春夏2年連続優勝がかかっていましたからね(笑)。
NPO法人「ふれんでぃ」との出会いは
大阪時代は大手会社のサラリーマンをしていましたが、29歳のときに上京しました。ベンチャー企業に入り2年、思うところもあり、そこから原宿の大きな美容室の管理部門で働いていました。その関連会社の人から声がかかり、この生活困窮者支援団体「ふれんでぃ」に転職しました。ファッションのキラキラした世界からアンダーグラウンド的な所に足を踏み入れた感じでしたが、何せ、小さなときから街のオジサンたちを知っていましたから違和感は無かったですね。2003年にこの仕事に就いて今年で、もう15年になります。
「ふれんでぃ」とは
ここの団体は、創立者の渡邊二朗氏が、『人間をはじめ小さな生物のあらゆるものは皆、友だちなんだ』という意味で「ふれんでぃ」と名付け、2001年7月に開設しました。目的は生活困窮者や高齢者の生活や就労支援です。無料低額宿泊所を運営し、元路上生活経験者たちが地域社会に繋がりを持つため、積極的に地元の清掃やイベント参加を促しています。川崎区・高津区・横浜市戸塚区に宿泊施設「立身(たつみ)寮」があります。再び身を立て直すという意味が込められています。
フェイスブックにも団体の活動を積極的に発信していますね
ゴミ拾いボランティアNPO法人「グリーンバード」が、あるのですが3年前からそこの若手リーダーと一緒にオジサンたちも参加し、川崎区の街の掃除をしています。今ではこの活動が世界にも広がりアジア・北米・ヨーロッパ・アフリカと80か所以上に活動が広がっています。もともと、我が団体ふれんでぃも15年前から川崎駅前の清掃を早朝4時から始めていましたが、一緒に活動させてもらうようになり、相乗効果が生まれました。オジサンの中には自己紹介がてら、名刺を作ってきたりする人も出てきましたし(笑)、お互い愛称で呼び合ったりと、かなりフレンドリーになりました。いつも来るオジサンが来てなかったりすると、「今日来てないけどどうしてるの?」と心配してくれる仲間も増えました。
ダンボール生活に慣れているオジサンたちからは、野宿ノウハウについて学ぶことも多く、川崎市主催の防災キャンプでも活躍しています。まさにキャンプの達人の出番ですよ。今年は200枚のダンボールを敷きつめて100組の親子が川崎マリエンに集合、1泊2日キャンプを実行しました。とても感慨深い2日間を過ごせました。先生と言われたことのなかったオジサンたちが実践的に市民にわかりやすく教えてくれますし、彼らも仕事への意欲が再度蘇るのです。
他にも市内にイベントがあるたびに、オジサンたちの背中を押して参加してもらうようにしています。宿泊所や自分の寝床だけに引きこもらず、社会に出て繋がりを持ってほしいのです。「外の世界を見ようよ」と啓発することは、社会復帰の第一歩です。人間は一人では生きていけない、人と共に生きる感覚を取り戻すきっかけになればと思っています。お祭りのときの、やぐらやテント設営などは、以前は建設業で鍛えたオジサンたちですから、引く手あまたです。「皆川組」なんて呼ばれてますよ(笑)。
また、私の個人活動ですが、15年前から月末の土曜に多摩川の炊き出しをしている団体に顔を出しています。今や近隣の人々も寄付された米や、重いプロパンガスなどを運んで手伝ってくれます。横浜からは毎回参加してくれるボランティアの女性もいます。
「川崎市ホームレス自立支援施策推進市民懇談会」の市民代表に選ばれ、代表者会議に年に1回出席していますが、こういった縁の下の力の市民ボランティアの声も広報しなければと思っています。
オジサンたちの宿泊所での様子は
3食付いた宿泊所の滞在期限は特に設けておりません。起床して、朝食前に全員で宿泊所内の掃除、朝食後は各自が就職活動に出かけたり、病人は病院にスタッフが付き添います。腎臓や肝臓病や癌など、様々な病気を抱えていたり、やはり高血圧の人が多く精神疾患を抱える方も大きな割合を占めています。1つの宿泊所で60名ほどが暮らしていますが中では皆、それなりにトラブルも無く暮らしていますよ。酒は晩酌程度、タバコもそこそこに皆、紳士的です。毎月ミーティングも行っています。誕生日プレゼントや新しく入った方の紹介、イベントの開催予定、役所からの広報を知らせたりします。この夏は特に「熱中症に気をつけて」と言いましたね。 高齢者だと、アパートはなかなか借りられないのですが、緊急連絡先をこの宿泊所にして、就職意欲があって、頑張ればアパートを借りられて自立もできます。現に「ふれんでぃ」でも就労専門会社を設立しました。ビルの解体業、警備業、産業廃棄物収集業などです。国の世話になりたくないと思っている熱いオジサンも多いので公費節減にも繋がっています。
新しい元気グループが今、注目されていますね
現在、オジサンたちのダンス集団「新人Hソケリッサ」が大忙しです。この集団はプロのダンサーが、雑誌「ビッグイシュー」を路上で売っているホームレスをスカウトして結成したダンスグループです。30歳代から70歳代と幅広い年齢層です。一部のメンバーがリオのオリンピックのプログラムにも参加しましたし、グループとしてはこの夏、上野公園やラゾーナ川崎プラザの広場、京都芸術劇場などツアーで全国を飛び回っていました。ダンスを経験したことの無い路上生活者の踊りは、一般的なダンスを超えて個性味溢れています。この公演では、ダンサーたちに力を貰ったと、涙する女性の観客もいるほどです。
この活動を振り返って
自分とホームレスの出会いの頃、近所の人からホームレスを受け入れる宿泊所を開設しようとしたときに、「人間のゴミ箱を作るな!」と罵声を浴びせられ、本当に悲しかったことがありました。この団体の創立者の渡邊さんは、自己責任ではなく社会制度に大きな問題がある事を訴え続けました。親分肌でインパクトがあり、刑期を終えた人も迎え入れていました。3年前に亡くなりましたが実に残念です。
この15年を振り返ってみると、今と比べると昔のオジサンたちのほうが元気だった気がします。リーマン・ショックの前でしたが、家が無くなったけれど働けるオジサンたちにはまだ意欲があったような気がします。その後、生活困窮者自立支援法ができてホームレスだけではなく、単に生活に困っている人へも手を差し伸べるようになりました。今や宿泊所はホームレスだけではなく、高齢者や病人なども多く介護施設状態になりつつあります。私もここで看取ってお骨を拾った人は、この15年で50人以上になるでしょうか。肉親がいても引き取らずに、最後は無縁仏なることも多いです。
ここの仕事を続けてきて、いつも思うのは大人が困ったときに「助けて」と声を出して言える場があってほしいと思います。今の社会は、「こうあるべき」とか「人に迷惑をかけてはいけない」という風潮が強く大人が言えないから、誰にも言えずに自殺にまで追いやられてしまう子どもが出てくるのです。今の子どもたちのためにも、困っている大人を助けたいのと思いで、ここまで続けてきたのかもしれません。
最後にメッセージを
オジサンの中では、いつも私はいじられキャラですよ(笑)。気軽に話しかけてくれます。みんなの一番楽しそうなときは、ご飯を食べているときですね。幸せそうです。
この中で気をつけているのはいつも自分が笑顔でいることです。自分がオジサンの立場だったら、やはり楽しい相手のほうがよいと思いますし。オジサンたちからは世間のいろいろな経験や体験を教えてもらい、逆に成長させてもらっています。 自分の大好きな音楽は母の店でずっと聞いていた、石原裕次郎や美空ひばりの昭和歌謡曲ですが、これをバックミュージックに常連の仲間と飲む酒はストレス解消、最高ですね。自分の活動の大切なブレーンメンバーには川崎を愛する老若男女が沢山いますが、いまだ駅をねじろにしているオジサンも支えてくれています。周りに支えられながら生きているという事を実感しながら今後も変わらず活動を続けていきたいと思います。
ジャックラッセルテリアの愛犬マイトの顔を見れば、どんな疲れもふっ飛びますね。老犬の彼を一人ぼっちで、いえ、1匹で家に残しておくことは心配なので、スマホ対応カメラを自宅に設置したほどです。今スマホを見たら、しっかり寝てました(笑)。
お問い合わせ
次回のエースは赤根広志さんです。
赤根広志さんへ一言
バトンを受け継いで 皆川 智之 さんへ一言
法人として設立したばかりの私たちの団体に、広報の場としてアンダー50リレーインタビューへのお声がけに感謝です。イベント「オヤシロフェス2018」の手伝いにもオジサンたちを動員してくださり、その皆川組のスクラムの固さと統率力に驚き、私も“まだまだ”だなと思い頑張ろうとパワーをいただきました。今後も長いお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。
川崎を中心に、音楽やダンスを通じ日本のクラブカルチャーやナイトカルチャーの発信・発展を目指し、地域の歴史や文化、観光、ファッション、アートをキーワードに、新たな価値を想像する団体として今年の6月に生まれたばかりの「NPO法人CirColors Japan(サーカラーズ ジャパン)」代表理事の赤根広志さんです。今後、各地の神社や仏閣等など様々な場所で市民の多様性に繋ぎ、地域を盛り上げてくれる事間違いないでしょう!9月30日に「かなまら祭」で有名な金山神社で行われるOYASHIRO FES 2018が楽しみです。
平成30年8月30日取材 レポーター 町田香子