U50 第8回 赤根 広志さん
アンダー50として、2018年から2024年3月まで、
50才未満の若手市民活動家へインタビューを重ねてきました。
「活動を始めたきっかけや思い」など、
62名それぞれの軌跡が
多くの方々へのエールになるよう願っています。
赤根 広志 さんプロフィール
NPO法人 CirColors Japan(サーカラーズ ジャパン) 代表理事
茅ヶ崎市在住
いろいろな顔をお持ちですね。
NPO法人代表理事の他に、建設会社取締役部長、北品川の居酒屋のオーナーです。特技といえば、「REDROOTS」という名字の英語訳名でイベントに出演するDJ活動や、全国牡蠣早剥選手権7位獲得、サーファー歴25年、極めつけは、“象使い”です。
そのパワーはどこから
日中は、主に建設会社のとして働いています。もう13年になります。物作りが好きで、様々な人と関わりながら仕事をして行く事が好きなので、この仕事は自分に合っていますね。
職人一人ひとりのこだわりを大切にしています。彼らはその道のプロですから、たかがスコップの使い方一つも自分流があり、むげにはできません。世代の違う大卒の子たちと、職人さんとの「あたり前」のギャップも当然ありますから、間に入ってお互いの溝を埋めるために説明をし、「ホウレンソウ (報告・連絡・相談)」をモットーに指導をしています。
休日や夜は、北品川にある居酒屋でオーナーを隠し、バイトリーダーとして働く時もあります。若い頃から飲食業のアルバイトで働いてきた私は、『色々な人と出会いは将来の財産』だと思い、いつかは店を持ちたいと思っていました。おかげでお店を始めた事によって、大きく輪は広がりました。
私のライフスタイルは全て、「サーカラーズジャパン」の原点となっています。
「CirColors(サーカラーズ)」とは
名前の由来は、幼馴染で親友のプロサーファー佐藤千尋が名付けた造語です。「仲間達の繋がりの縁“円”(Circle)と、多様性ある地域の様々な“色”(Colors)が交わり新たな価値を創造していく団体」という思いが込められています。
団体設立のきっかけは、私の店の近くの品川神社で、昨年の6月に行われた祭りの光景でした。普段は閑散としている商店街・神社なのに、祭り当日は高齢者から子どもまで、地元以外の人もどんどん集まってくるのですよ。お店をやってなければ気にもしない当たり前の光景ですが、この集客力は何なんだと衝撃を受けました。
元々が川崎生まれで祭り好きですから、「よし、神社や寺と地域の店を巻き込んで、大好きで携わっている音楽仲間とダンスやファッションなど、若い文化を知るチャンスのない市民に発信したい」という強い思いにかられました。
たまたま川崎大師のそばの若宮八幡宮の宮司が同級生だったので、思いついたらすぐ行動の私、打診したところすぐさま場所を提供してくれるとのOKが出ました。その年の7月に1回目となる「OYASHIROFES(オヤシロフェス)2017」とタイトルを決め、さっそく準備を始めたら、たくさんの仲間の協力を得られ、9月には見事に開催の運びとなりました。本当に僕の周りの仲間は最高で、感謝しかないです。
祭り後、子どもから大人まで誰もが楽しめる空間をつくりたいと思い、仲間と相談し、営利目的でないこと、広く情報公開をしていくことで、市民からの信頼を得られるNPO法人が最適だと判断し、設立に至りました。
その第1回目の様子は
業界のトッププロのDJやダンサー、その他のアーティストたちも交通費のみで神社に集結してくれました。高齢者からは「地元のタウン誌を見て来たよ」とか、「あなたが藤崎出身の赤根さんかい?」、若者からは「神社でクラブ音楽、ポールダンスって!やばい!」と気軽に声をかけてくれました。
昼間から野外でノリの良いリズムに酔いしれ、地元飲食店を楽しみながら1日遊べるこの祭りに、「来年もやるよね? 絶対来るよ、よろしくね!!」との声をたくさんいただきました。試行錯誤で始めたこのイベントですが、自分の「思い立ったら即行動」という信念を貫いて本当に良かったと実感しました。
一番気をつけたのは、祭りに付きもののケガやお酒のトラブルでしたが、心配は皆無、それどころかさらに口コミで、終了後には「入場無料、ストリートカルチャーに根ざした祭り」として広まっていきました。 オヤシロフェスをきっかけによく声をかけてくれるようになったのですよ。都内でプレイしているDJとかに「その祭り、知ってる!」とよく言われて嬉しくなりました。このインタビューもオヤシロフェスがきっかけですものね。忙しくなったぶん、毎日睡眠不足です(笑)。
残念なことは
今年の9月30日に予定していた第2回目は、台風24号のために苦渋の決断で開催を中止にしました。1年かけて練りに練ったプロデュースを発揮できずに悔しさを通り越すほどガッガリしましたが、安全面を考えたとき、ベストの決定だったと思います。やめるということは、本当に勇気もいりました。でも、僕らの作る祭りは子供からおじいさんまで、障害のある方も含み、みんなが楽しくなければ意味がないですから。
サーカラーズのメンバー構成
メインのメンバーは10人で、色々なイベントに見合ったボランティアの人数や構成を変えながらも幅広く活動しています。
オヤシロフェス以外にも、「Summer Time(サマータイム)」といって湘南・茅ヶ崎市の花火大会の日にアフターパーティ的な一般市民も参加しやすいイベントをクラブ「キャプテン」で開いています。今後は場所を海岸に移して活動を広げていきたいです。
今後のテーマの全国展開をしていくに当たり、地域密着型を大きく掲げて地元の方々の支援を考えています。たとえば、地元住民に電気屋さんがいたら、イベントの電気系の設営を頼むとかです。
川崎生まれの湘南育ち
生まれは川崎市の南部川崎区の藤崎出身です。厳しい父と優しい母に育てられました。父は不動産・建設会社を経営、ガソリンスタンドの仕事もしていて家にあまりいませんでした。
兄弟は2歳上の兄と3歳下の妹で、私は真ん中です。2人ともおとなしいのですが、私だけカラーが違いますね(笑)。そもそも兄は、ユニークな発想をする静かなクリエイター系で、次男坊の私とは、全く異なります。
幼稚園時代は、わんぱくで滑り台から落ちたりしていましたが、小学校1年のときにイジメに遭いまいした。ランドセルを前に背負ってそこに顔を埋めて泣いていた自分を覚えています。でも、なぜか小学3年生くらいには自分で立ち直っていました。どうやってイジメを解消させたかは、記憶に無いのですが、小学校6年のときの「クラスで面白い人コンテスト」で第2位を勝ち取りました。
中学3年のときに、家族で茅ヶ崎に引っ越しました。友人も2倍に増えましたし、ここの海との出会いは大きかったですね。色々とヤンチャして母に迷惑もかけていましたが、高校1年のときサーフィンと音楽に出会うことができ、心が開けたというか、自分自身が落ち着きました。
寝ても覚めてもサーフィンで、登校前の朝6時に海に出てサーフィンですよ。時間を忘れて波に乗っていると浜辺から母が「ひろしー、早く学校へ行きなさーい、先生から電話があったよー」なんてね、呼びに来ましたよ(笑)。忘れられない思い出は、高校に制服が無かったのでアロハを着ていったら、先生に「着替えて来い!」と怒られて自宅に戻るつもりが、また海辺を通ったらサ-フィンしちゃって、また先生に大目玉ですよ。
母への想い
亡くなって5年になります。本当に優しい母でした。私は父とうまくいってなかったのであまり家に帰らなかったし、口をきかないから家族団らんというものがありませんでした。でも、母を亡くしてから、兄妹たちと仲良しになりましてね、今ではよく連絡しあっています。不思議なものですね。
母を亡くして、すごく落ち込んだときに母の声を聞きたくなって、青森の恐山のイタコに会いに行きました。でも、期待はずれだったのは、自分の思いが強すぎたのかなあと今になって思います。
当たり前にいる存在の母がいなくなって、親孝行ができず、迷惑ばかりかけていた自分が本当に情けなく、月に一度お墓参りをしています。
自分の生き様とは
自分には日本の歴史に名を残す偉業を成し遂げたいくらいの意気込みがあります。毎日、1日を振り返って心の中で自問自答しています。そして、次世代に誇れる親でありたいと思っています。色々あった私の人生ですが、娘が今や高校生、音楽のことを聞いてきたり、一緒にコンサートにも行ったりします。中学生の息子には、イベントの手伝いもさせています。まあ、これから思春期ですから、どこまで付き合ってくれるかですが(笑)。
ストレス解消は海です。嫌なこともつらい事も海に行けばまさしく、「水に流す」です。悩みがあったり、人に頼みごとが言いにくくても、今この過ぎゆく時間は長い1日の一瞬なんだ、この一瞬さえ頑張ればいいんだという前向きな気持ちに海はさせてくれます。
座右の銘は、「志操堅固」(しそうけんご)です。親が名付けてくれた「志」を大切に考え、決めたら最後までやり抜く覚悟です。
愛読書は、ニーチェ、自己啓発、哲学、好きな音楽はジャンルにこだわらずたくさんありますが、昔からR&Bは聞いています。音楽はもう生活の一部ですね。
最後にメッセージを
迷っている若者がいたら、一言投げかけてあげたいです。団体の代表となるのは、知名度の高い人や何か傑出した素質の人がなるものだと思っていました。しかし、人には人徳があります。もしそれを兼ね備えた人なら、普通の人でも充分にリーダーになれます。もし、やりたい事があるなら、臆せずに「よし、やるぞ!!」と声に出して、実際に取りかかるのです。私は、若いときに飲食店のアルバイトをして「絶対、将来は自分の店を持つ」という夢があり常々言っていました。言い続ける事により、どんな夢も絶対に叶います!!
川崎の病院でマーケティング担当をしている中村崇くんです。公告的手法によるヘルスケアの自分ゴト化、病院のプラットホーム化による地域活性化、一般企業のコラボレーションによる新規医療ビジネス立ち上げなど、川崎市の活性化を先導している次世代の若者です!
平成30年10月4日取材 レポーター 町田香子